NAFに参加する意義

こんにちは!名古屋工業大学2年の平山龍太郎です。
コラムを今回初めて書くということで、少しコラムの語源について調べてみました。

英語の「column」は、「柱」を意味するラテン語「columna」に由来する。 本来、「column」は古代ギリシャやローマの建築に見られる石の円柱のことで、「円柱状のもの」や「縦の列(カラム)」などの意味も持つようになった。 さらに、新聞など印刷物の「縦の欄」も「コラム」と言った。                      ー語源由来辞典より抜粋

おそらく、本来柱の意味合いしか持っていなかったコラムという言葉は、ローマ建築などに見られる柱が列をなしている形態を多く持っていたことから概念が拡張され、縦の列という意味を持ち、新聞に用いられるようになり、さらに意味が拡張されるに至ったと考えられます。

建築は多くの媒介を通して、アイデアから段階的に形になりますが、どのような媒体を通しても言葉なくしては施工段階も含め、完成されることはあり得ないと思います。1人での設計でさえ、アイデアの段階からいきなりドローイングにするのは段階的な設計から急ぎすぎているなどの議論があるのに対して、複数人での設計は個人の頭の中に存在する観念を他人に共有するという過程を必要とします。いかに言葉の段階で他人に共有できるかどうかなどは大学でのグループ課題などを通して養われると思いますが、人よりも設計ができるようになりたいと思っている人たちにとってはそれだけでは恐らくは足りないと思います。
 NAFでの活動、僕の場合は特にみなとまち空き家プロジェクトでの活動がそれを補う場となっていると思っています。みなとまち空き家プロジェクトではその中にもたくさんのプロジェクトが存在し、同時並行で様々な活動が行われています。たくさんの人がいるので直接全員が集まって会議を行えることは、まずないので様々な共有手法が取られ、プロジェクトの全体像や進行度合いなどメンバーが共通認識を持って参加できるように努力されています。幼少時代の原風景が人生や価値観に影響するといいますが、僕たち建築学生にとって、この4年間は卒業後の建築人生の幼少時代のようなものだと僕は思っています。他の人とのグループ作業ができる。他の人との繋がりが生まれる。様々な価値観を持った人に会える。これが僕にとってのNAFに身を置く意義です。個人を超え、大学間を超えていろんな価値観を持った人とともに色々な経験ができる、NAFという場に身を置く意義を改めて少しでも考えてもらえれば幸いです。