月別アーカイブ: 2019年3月

イヤよイヤよもスキのうち

明るくてポジティブで優しくみんなから頼りにされ、辛い姿やネガティブな面をオープンにはせず影で頑張り、みんなの前では常に笑顔な人、俗に言うと「カリスマ性のある人」が人前に立ち、代表やリーダーをやるべきだという発想は、「極めて古典的」であり妄想や先入観だと私は思います。

「カリスマ性」があるというのは「カリスマ性があるように振る舞う」リーダーを「カリスマ性があるように見せている」組織のメンバーがいて「カリスマ性があると信じている」外部の人間がいてからこそ成り立つものであり、この現象に対して常に疑問を感じています。

そして、今の学生がいつまでもこの固定観念的とも言える「カリスマ性」「才能」「リーダーシップ」があるとかないとかにより、自信を失ったり、進むべき道や選択を左右されたりしていてはいけないと私は考えています。

では、代表・リーダーという立場も含めて、組織やチームに必要な人間とは何か。

それは「継続する力」「泥臭いことや地道なことも大切にすること」「行動力」だと考えます。

リーダーは全体を見るべきで、泥臭い仕事や地道な努力は、リーダーがやらなくても良い、という発想は勘違いだと思います。
また、耳障りの良い言葉を並べスピーチをする、人前で上手に話す人、明るくて活発な人が人前に立つべきだというイメージはあまりにも危険で安直だと感じています。

本当に必要なのは、耳障りの良い言葉でも、流暢に話すことでもなく、明るくかっこよく振る舞うことでもなく、「どれだけ行動したか」「どれだけ作業したか」「どれだけ貢献したか」であり、これが本当の「かっこよさ」だと思います。そして、この努力や苦しいことをクローズにするのではなくもっとオープンにして良いのではないでしょうか。

少しだけこれから(とは言っても現在進行形で進んでいる流れ)の話をしましょう。
私たちが、人に対して感じる「イメージ」などといったものは、アバター・SNSによりいくらでも像として作り出すことができます。
これは、誰でも、いつでも、できます。また、1つじゃなくて複数の像を持つことも容易です。
だからこそ、「カリスマ性」「リーダーシップ」「才能」「イメージ」への価値は下がり、強い憧れを感じることはなくなると思います。
その代わり、どれだけ作業したか、どれだけ行動したか、地道さ、泥臭さ、そのことにより何が生まれたか、そこに本当の価値が生まれます。このことにより、誰もが、リーダーをはじめとした、社会の中で活躍できる人になると思います。

だからこそ、今目の前にあるものに対して、イメージや言葉にとらわれず、どれだけの労力と時間がかかっているかこれが将来にどんな可能性をもたらすか見極める力が必要だと思います。
いつまでも「こうあるべきだ」という像にとらわれるのではなく、言葉だったり想像だったりでごまかさずに逃げずに、手を動かす必要があります。そして、もっとその過程をオープンにするべきであるし、周りが評価していくようにしていくべきではないでしょうか。

最後に少しだけ「私」の話をします。
この文章を書いている「私」は、みんなとワイワイ飲み会や旅行や遊びに行くことが苦手で、「私、可愛くないから」「ごめんなさい」が口癖で、人見知りで、サシで人と話すことが苦手で、「陰キャラだよね」「変人」ってよく人から言われる人物であり、中部地方の160人の建築学生が所属するNAGOYA Archi Fes 2019の代表です。
なぜ、私がNAFの代表になったのか。それは「今までのNAFが嫌いだから。」です。(先輩方、ディスってすみません)
でも嫌いだからといって、外側から批判することはもっと嫌いです。だから、変えようと思いました。NAFだけではなく、自分が自分自身をとてつもなく嫌いです。でも、このままでは悔しいです。だから、変えようと思いました。そのために代表になりました。
そして、いろんな人に「ざまあみろ」と言ってやろうと思いました。決して、ポジティブな理由ではないことは自覚しています。
そういう人物が代表です。

でも間違っているとは思いませんし、間違ってなかったと思います。

私だけでなく、いろんな人がたくさん関わって、地道な努力や泥臭い過程もたくさ歩んできて、いろんなことが変わりました。
それを明日から開催されるNAGOYA Archi Fes 2019にて証明します。
3月11日12日、吹上ホールにて開会します。
ぜひ、会場にお越し下さい。お会いしましょう。

NAF2019代表 名古屋市立大学3年 池本しょうこ

取っ手の無い内開きドア

こんにちは。NAF2019副代表の隆範です。
唯一、コラムを二回目書くことになったのですが、(前回のコラムはこちら→http://nagoya-archi-fes.com/column/archives/1624/)前回はゆったりと建築コラムを書けたので、今回はもう少し、想いの部分を書こうかなと思います。

私はこれまで、多くの人に恵まれました。
恵まれるというのは、出会いと発見において、意義深い時間を過ごせているということです。今年度は特に。

出会うというのは今の時代、Facebookでフォローしたり、Twitterでフォローしたり、Instagramでフォローしたり。そんなに難しいことでも無くなってきました。
出会い方は様々にしても、多くの人とネットワーク状にコミュニティが広がることは、自身を社会と接続し、社会に貢献していく為に価値のあることです。

今まで知らなかったことを知った時、人は「世界が広がった」と感じます。
新たな本に出会ったとき。
尊敬する先生との出会い。
新たなコミュニティ。
私自身、大学に入ってからの世界は希望に満ち満ちています。
世界の広がりを感じたとき、私たちはこれまで閉じた箱の中にいた自分を想像し、
新たな世界と繋がるドアを発見したと考えます。

知見というのはつまり、新たなドアを発見し、自らが箱の中にいることを認知することです。
私たちはそのドアの先に、新しい出会いと世界を期待します。
しかし、それは苦しくも、世界の広がりを予感したに過ぎません。
そのドアの向こう側へと行くことができる人は、極く僅かです。

さて、大きく立ちはだかる壁に、僅かに見つけた希望のドア。
私はこのドアを、「取っ手の無い内開きドア」と捉えています。

私たちはドアを開けたその先を想像し、憧れ、希望の中に仲間を見つけます。
仲間と共に想像するドアの向こうは輝かしい未来です。
しかし、このドアはミニマリストが建てたのか、完璧に納まっていて、
どのように開ければいいのか分かりません。
押してダメなら引いてみろ?引く取っ手が無いじゃないか。
多くの学生が直面しているのは、
多くの現代に生きる人々がぶつかっているのは、
正にこの、開け方の分からない「取っ手の無い内開きドア」です。

情報過多の世の中に、時代の最先端と呼ばれるものが数限りなく並列しています。
壁の向こうにいる人を沢山見せつけられます。
劣等感のうちにいつしか、ドアを開けることをやめてしまいたくなる。
隣にいた仲間は右へ左へ、回れ右。
壁を上ろうとして落ちる者も。
一方で、いつの間にか壁の向こうにいる者もでできます。
いつの間に?となりに居たはずの彼が壁の向こうにいるのはどうして。

実は「取っ手の無い内開きドア」は、壁の向こう側から押せば容易に開けることができます。
誰しもが、次の世界へと進むとき、自分ではない何かのキッカケによって達成されています。
その多くは奇跡と表現されますが、それでは納得できるはずもない。
では彼は、ただ運がよかっただけなのか。

このドアは、いつ誰が何のキッカケで開けるのかわかりません。
来年かもしれないし、5年後かもしれないし、もしかしたら明日かもしれない。
ただし、ドアは一つとは限らない。
冒頭に言ったように、ドアとは知見により発見されるものです。
多くのドアを観察していれば、きっとこの広大な世界の中で、誰かがどこかのドアを開けてくれます。
僅かに開いたそのドアに、真っ先に見つけて飛び込んだのが彼です。
無情にも、見つけたそのドアの向こう側に素晴らしい世界が広がっているのかどうか、行ってみなければ分かりません。
しかし、迷ったその一瞬にドアは閉じてしまうのです。

学部四年を前にした同輩だけでなく、多くの人が不安を口にします。
「このままではだめだ」
「これから自分はどうしていこう」
「自分には力が無い」
「自分に自信が無い」
「みんなはあんなにも頑張っている」
「なにかしなくちゃ」
「でも、、何をしよう」

そんな時、大きな壁に手をあてながら、手探りでドアを探してみてほしい。
まだ見つけてないドアが、きっと沢山あるはずだ。
生きるということは、終わりのない箱の中でドアを探す旅です。
まだ旅の途中じゃないか。
右に行ってもいい。左に行ってもいい。少しだけ壁をのぼってみるのもいい。
「取っ手の無い内開きドア」を見つけたら、
手が赤くならない程度でいいからノックしようじゃないか。

団体戦

こんちには!愛知工業大学2年の高橋侑里です。
今回のコラムでは、春休みに4年生の卒業設計を手伝って改めて感じたことを書こうと思います。

今季の春休みに先輩の卒業設計のお手伝いとして模型作りをさせていただいたんですが、一つの完成に向けてみんなで創り上げていったり、どうしたらもっと良くなるのかを補い合ったりなど、それぞれ自分の持ち分はあるけれども協力して完成に向けて頑張る姿に、大学受験のときの〝受験は団体戦〟というのを思い出しました。
制作に行き詰まったり、オールや徹夜でしんどくなっても友達に励まされ頑張れることも多々ありますし、多様な面で仲間というのは+に働いてくれる存在だと思います。だからこそ、誰かと関わる建築や1人でやる制作も、全て団体戦だと私は感じます。

周りの仲間とやることで刺激をうけたり、新たな発見が出来たりと、授業の課題とかは個人のものではありますが、自分自身で頑張りながらも友達と支え合っていく、というのは建築学科の特徴でもあるかなと思います。
これからも仲間と切磋琢磨しながら建築学生としてみんなと共に成長していけたらなと感じます。

タイムスケジュール

こんにちは。
審査委員会委員長 名古屋工業大学3年の柴田湖々です。
NAF3年目で、初めてコラムを書きます。

先日、名古屋工業大学の卒業設計講評会がありました。先輩方、本当にお疲れ様です。
どこの大学も同じなのかわからないですが、名工大の卒業設計のシート提出は1分の遅刻も許されません。当たり前と思うかもしれませんが、私は厳しいなと感じました。

私は時間にルーズです。時間管理が苦手で作業を順序立てて行うことが苦手です。
例えば、約束の時間より早く到着すると逆にそわそわしてしまいます。集合場所を間違えたのでは、と思ってしまいます。電車に乗るときも、7割自分の乗りたい電車を見逃してしまいます。そういう自分がいるので、最近はよっぽどの予定がない限り、乗り換え案内で都合のいい電車を調べないようになりました。支度ができたら家を出て、乗れる電車に乗る。時間に縛られない生活は楽しいですよ。約束した時間がある日は仕方なく一本前の電車に乗るように全力を尽くしてます。

卒業制作に限らず、なんでもタイムリミットがあります。私はなんやかんや、大学の課題提出に余裕を持って終わったことは一度しかないし、その唯一の課題は2年生の時のです。私は来年の自分の卒制が恐ろしく感じます。なぜか毎年提出期限が早まっていると聞いてさらにドキッとしました。余裕を持ってタイムスケジュールをしっかり立て、時間内に間に合うことは前提として、満足いく作品を目指します。いやいや、絶対無理って周りの人に言われそうですけど。そういうことを4年生の間に身につけて行きたいですね。

中部卒業設計展もいよいよ10日後です、、運営する立場の人が、時間にルーズだなんて言ってる場合ではありませんね。
本番までは気を引き締めて、卒業設計展が成功するよう精一杯頑張ります!

P.S. 出展者の皆さんも当日遅れずに来てくださいね;)