イヤよイヤよもスキのうち

明るくてポジティブで優しくみんなから頼りにされ、辛い姿やネガティブな面をオープンにはせず影で頑張り、みんなの前では常に笑顔な人、俗に言うと「カリスマ性のある人」が人前に立ち、代表やリーダーをやるべきだという発想は、「極めて古典的」であり妄想や先入観だと私は思います。

「カリスマ性」があるというのは「カリスマ性があるように振る舞う」リーダーを「カリスマ性があるように見せている」組織のメンバーがいて「カリスマ性があると信じている」外部の人間がいてからこそ成り立つものであり、この現象に対して常に疑問を感じています。

そして、今の学生がいつまでもこの固定観念的とも言える「カリスマ性」「才能」「リーダーシップ」があるとかないとかにより、自信を失ったり、進むべき道や選択を左右されたりしていてはいけないと私は考えています。

では、代表・リーダーという立場も含めて、組織やチームに必要な人間とは何か。

それは「継続する力」「泥臭いことや地道なことも大切にすること」「行動力」だと考えます。

リーダーは全体を見るべきで、泥臭い仕事や地道な努力は、リーダーがやらなくても良い、という発想は勘違いだと思います。
また、耳障りの良い言葉を並べスピーチをする、人前で上手に話す人、明るくて活発な人が人前に立つべきだというイメージはあまりにも危険で安直だと感じています。

本当に必要なのは、耳障りの良い言葉でも、流暢に話すことでもなく、明るくかっこよく振る舞うことでもなく、「どれだけ行動したか」「どれだけ作業したか」「どれだけ貢献したか」であり、これが本当の「かっこよさ」だと思います。そして、この努力や苦しいことをクローズにするのではなくもっとオープンにして良いのではないでしょうか。

少しだけこれから(とは言っても現在進行形で進んでいる流れ)の話をしましょう。
私たちが、人に対して感じる「イメージ」などといったものは、アバター・SNSによりいくらでも像として作り出すことができます。
これは、誰でも、いつでも、できます。また、1つじゃなくて複数の像を持つことも容易です。
だからこそ、「カリスマ性」「リーダーシップ」「才能」「イメージ」への価値は下がり、強い憧れを感じることはなくなると思います。
その代わり、どれだけ作業したか、どれだけ行動したか、地道さ、泥臭さ、そのことにより何が生まれたか、そこに本当の価値が生まれます。このことにより、誰もが、リーダーをはじめとした、社会の中で活躍できる人になると思います。

だからこそ、今目の前にあるものに対して、イメージや言葉にとらわれず、どれだけの労力と時間がかかっているかこれが将来にどんな可能性をもたらすか見極める力が必要だと思います。
いつまでも「こうあるべきだ」という像にとらわれるのではなく、言葉だったり想像だったりでごまかさずに逃げずに、手を動かす必要があります。そして、もっとその過程をオープンにするべきであるし、周りが評価していくようにしていくべきではないでしょうか。

最後に少しだけ「私」の話をします。
この文章を書いている「私」は、みんなとワイワイ飲み会や旅行や遊びに行くことが苦手で、「私、可愛くないから」「ごめんなさい」が口癖で、人見知りで、サシで人と話すことが苦手で、「陰キャラだよね」「変人」ってよく人から言われる人物であり、中部地方の160人の建築学生が所属するNAGOYA Archi Fes 2019の代表です。
なぜ、私がNAFの代表になったのか。それは「今までのNAFが嫌いだから。」です。(先輩方、ディスってすみません)
でも嫌いだからといって、外側から批判することはもっと嫌いです。だから、変えようと思いました。NAFだけではなく、自分が自分自身をとてつもなく嫌いです。でも、このままでは悔しいです。だから、変えようと思いました。そのために代表になりました。
そして、いろんな人に「ざまあみろ」と言ってやろうと思いました。決して、ポジティブな理由ではないことは自覚しています。
そういう人物が代表です。

でも間違っているとは思いませんし、間違ってなかったと思います。

私だけでなく、いろんな人がたくさん関わって、地道な努力や泥臭い過程もたくさ歩んできて、いろんなことが変わりました。
それを明日から開催されるNAGOYA Archi Fes 2019にて証明します。
3月11日12日、吹上ホールにて開会します。
ぜひ、会場にお越し下さい。お会いしましょう。

NAF2019代表 名古屋市立大学3年 池本しょうこ